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説明

 

川本半助(Hansuke Kawamoto)

 

徳利

 

時代:19世紀中~後期

 

法量:品高㎝ 口径8.7 ㎝  底径6.0㎝

 

摘要:≪山半≫ 染付銘

 

※まだHP作成途中でテスト用に掲載したものです。販売・購入はできません。

 

 

 

 

四代目 川本半助(不詳~1857)

 

二代目・三代目半助が発展させた磁業を引き継いだ四代半助は、三代半助の次男として生まれた。文政5年(1822年)に家業を相続し、「山半」・「真陶園」と号して作陶している。

 

天性の妙手といわれ、そのたくみな技量は、天保年間(1830~1843)に尾張徳川家の御焼物師に任じられたことからも伺えられる。以後毎年、御紋付きの器を献上し、銀二枚を褒美として与えられており、瀬戸を代表する窯屋として成長している。

 

加えて絵付けだが、瀬戸独特の水墨画のような筆捌きの絵付けがされている。この半助窯では、四代半助以降、名古屋の画人山本梅逸の門下であった亀井半二(不詳~1851)や大出東皐(1841~1905)とその門下である大島霞城等、著名な南画系の陶画師を寄留させて絵付けを行っている。

 

その模様は、演技の良い図柄として四君子や祥瑞が用いられたり、山水や花鳥等、自然の風物が描かれているものが多い。

 

四代半助の長男六三郎がまだ幼く、家業を継ぐことができない状況にあり、そこで磁器開発に功績のあった加藤唐左衛門の孫にあたる増吉(1831~1907)を長女はるの婿養子として迎え、六三郎が成長するまでの間、五代半助(初代川本桝吉)を継ぐことになった。