Back to 瀬戸磁器

説明

 

 

時代:明治時代

 

法量:品高9.9㎝ 口径(幅)10.5㎝

 

摘要:加藤勘四郎  勘四製 祖母洞 染付銘

 

No252

 

 

 

 

※まだHP作成途中でテスト用に掲載したものです。販売・購入はできません。

 

 

 

火入れとは

たばこ盆の中に組み入れる道具で、煙草に火をつける火種を入れておく器です。

※火入れの準備は、動画で7:00あたりから見ることができます。

 

 

※たばこ盆とは、炭火を収める“火入れ”、灰を捨てる“灰吹き”、刻みたばこをしまう“たばこ入れ”など、煙管での喫煙に必要な道具を1セットにしておくことができる便利な盆で、盆形以外に箱形のものも作られ、なかには、装飾的な調度品として、蒔絵(まきえ)が施された美しいものも見られます。

 

 

 

加藤勘四郎は、瀬戸の一里塚町にある窯屋で、菱勘という号で知られています。彼の窯では、染め付けを中心とした磁器が生産されていました。

 

明治6年(1873年)のウィーン万博博覧会以降、コバルトの染付け技術が伝わり、加藤勘四郎はその受け取りを最初に行いました。明治時代には、彼の作品は国内外の万博博覧会に数多く出品され、その優れた品質が高く評価されました。明治10年(1877年)の第1回内国勧業博覧会では龍紋賞配牌を、明治11年(1878年)のパリ万国博覧会では銅賞を受賞するなど、多くの賞を受けました。

 

加藤勘四郎の窯では、花瓶や鉢などの国内外向けの製品が生産されていましたが、特に板ものの製作においては得意としていました。

代表作は、東京国立博物館に収められている、明治14年(1881)染付養蚕図衝立 幅91.8㎝

 

明治初年には、陶画師の大出東皐が逗留し、染付の絵付けを行っており、その精密な染付画も窯の特徴となっています。明治中頃には、長男の松次郎が家業を継承しました。加藤勘四郎の作品は、その優れた技術と美しさによって多くの賞を受賞し、瀬戸焼きの名工としての地位を確立しました。彼の窯は、明治時代の日本の陶芸界において重要な存在であり、その影響は現代にも続いています。