「自分がいいと思っているものが、他人にとっていいとは限らない。」

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この一年、骨董商としての一歩を踏み出してから、ちょうど一年が経った。

 

市場に足を運び、古物会に参加し、多くの先輩方の背中を見てきた。

 

厳しい言葉も、遠慮のない助言も、たくさん頂いた。

 

その中で、今も心に深く残っている言葉が三つある。

 

どれも私の商いの姿勢を揺さぶった、骨董商としての土台を問う言葉。

 

今日は、その第3位。

 

「自分がいいと思っているものが、他人にとっていいとは限らない。」

 

一見、当たり前のようでいて、

 

実は最も難しい真理だと、今は思う。

 

私はどこかで信じていた。

 

良いものを扱えば、きっと売れる。

 

自分が心から美しいと思えるものなら、

 

必ず誰かも同じように価値を感じてくれるはずだ、と。

 

この茶碗は素晴らしい。

 

この染付は名工の仕事だ。

 

歴史的背景も申し分ない。

 

今日の市ではきっと高く評価される。

 

——そう、本気で思っていた。

 

だが、市場は驚くほど冷静だった。

 

値は伸びない。

手も挙がらない。

空気は静まり返る。

 

そのとき、初めて気づいた。

 

 

 

「良い」と「売れる」は、同義ではない。

 

骨董の世界は、審美眼の世界である。

 

しかし同時に、市場の世界でもある。

 

どれほど自分が惚れ込んでも、

 

それが相手の心を動かすとは限らない。

 

ビジネスの言葉で言えば、

 

これは「プロダクトアウト」と「マーケットイン」の違いだ。

 

自分の価値観から出発するのがプロダクトアウト。

 

顧客のニーズから出発するのがマーケットイン。

 

骨董商として生きるなら、

 

後者の視点を持たなければならない。

 

商いとは、

「相手の顔を思い浮かべる力」である。

 

この人は何を美しいと感じるのか。

 

この人の空間には何が調和するのか。

 

今の時代は何を求めているのか。

 

骨董商とは、

 

過去の物を扱いながら、

 

実は“今”と真剣に向き合う職業なのだ。

 

自己満足の審美で終わるのか。

 

他者の幸福を想像できる商いへと進化するのか。

 

その差は、想像以上に大きい。

 

審美は主観。

商いは他者。

 

この違いを理解したとき、

 

私はようやく、骨董商としての入口に立てた気がした。