志田焼: 江戸時代の肥前磁器と独自の美しさ

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志田焼は、有田に次いで日本で初めて磁器焼成に成功した嬉野市塩田町の志田窯で作られた焼き物で、西山には3基、東山には2基の窯跡があります。これらは総称して志田窯と呼ばれ、伊万里と近い地域に位置しながらも、独自のスタイルを持っています。

 

志田焼を理解するためには江戸時代の肥前磁器の歴史を振り返ることが重要で、柿右衛門様式の華麗な美しさや鍋島藩窯の独創的なデザインといった個性豊かな焼き物がこの地域で生まれました。

 

志田焼は、その中で鮮やかなコバルトブルーと野性的で自由奔放な魅力を持ち、時代を超えて人々を魅了し続けており、職人たちの心が込められたこの器は日常生活に温かみと彩りを加えています。

 

 

 

 

訪れる「大皿の時代」

 

 

江戸時代中期から後期にかけて、社会全体が贅沢や豪華な生活を抑制し、質素な暮らしを推奨する奢侈禁止令が頻繁に発せられました。その影響を受け、伊万里焼の大皿は華やかな装飾が制限されながらも、コバルト顔料による藍色の表現が進化し始めます。

 

江戸時代末期には、大衆消費文化が急速に発展し、宴会が一般的になり始めました。この変化に伴い、大皿の需要が社会全体に広がり、志田の地は大皿の生産地として名を馳せることになりました。宴の場で人々を驚かせるそのエネルギッシュで大胆な模様は、江戸時代の人々に強い印象を与えました。

 

日本の歴史において、明治という新時代に向け、初めて「大皿時代」が訪れたわけです。この時期の染付皿は、一般的に直径30cmから40cm前後のサイズで、これらの皿は「大皿」と呼ばれています。

 

 

 

 

 

大画面の陶画

 

 

志田焼の魅力を語るとき、それはまるで子供たちが夢中になって描く大画面の絵のように、自由で大胆な表現が許される場です。構図の面白さや染付の美しさ、そしてその大画面の迫力は、多くの人を惹きつけます。特に、器の縁からはみ出すような大胆な模様は、自然な表現を可能にし、余白の美を忘れるほどの魅力があります。

 

このような大皿は、めでたいことや華やかさ、艶やかさを大いに引き立てるために使われます。伝統的な美意識を超えた大胆なデザインは、時に見る者を驚かせ、喜びをもたらします。その表現力は、まさに「大いに結構」という言葉にふさわしいものです。

 

大皿が持つこのような力強さと美しさは、現代においてもなお、多くの人々の心を惹きつけ、特別な場を彩る存在であり続けています。

 

つづく・・・

 

 

 

 

●志田陶磁器株式会社 HP https://arita-shida.jp/

●やきもの・和雑貨 志田の蔵 HP https://www.shidanokura.co.jp/

●志田焼の里博物館 HP https://shidayakinosato.com/