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説明

 

時代:明治時代

 

「白雲堂周兵製」染付銘

 

法量:品高8.0㎝ 口径16.8㎝

 

摘要:白雲堂 加藤周兵衛 染付銘

 

口縁と帯の下に二重の口紅を巻いている。器外側には松竹梅などが描かれ、見込みには蘇東坡と、鳥と鹿が描かれている。

 

あと二代周兵衛が得意としていたのが鳳凰唐草文の図柄で様々な作品に描かれている。

 

※まだHP作成途中でテスト用に掲載したものです。販売・購入はできません。

 

 

 

加藤周兵衛(1848年-1903年)は、初代周兵衛の長男徳七として生まれ、瀬戸の南新谷地区で活躍した染付作家。

 

彼は「白雲堂」という号で知られ、染付磁器の生産を行っていた窯屋の二代目。二代目として明治10年( 1877)に家業を継承した加藤周兵衛は、主に米国・ 英国向けの食器類を中心に森村組( 現在のノリタケカンパニーリミテッド)の指定工場として、輸出用 ディナーセットなどを手掛け、格調高い作品を生産。周兵衛は絵付けにも熱心であり、著名な絵師たち(大島霞城・ 加藤梅太郎等)を招いて行われた絵付けは、彼の作品にさらなる価値を加えました。

 

また、 染付けだけでなく、上絵付けや正円子などの研究にも取り組んでいたようです。明治27年(1894年)には五二会瀬戸支部の理事に就任。

 

明治30年(1897年)には「陶器貿易会社」を設立するなど、輸出を中心とした生産販売に尽力。

 

彼の窯では後に人間国宝になる加藤士師萌も働いていました。加藤周兵衛の輸出という点で功績は大きく、彼の窯は大正11年(1922年)に工業完全閉鎖となりましたが、彼の作品は現在も多くの人々に愛されています。

 

※初代周兵衛は1852年(嘉永五)に定助から分家し、製磁の業を開始。親戚には、瀬戸の北新谷地区で、三代にわたって陶磁器生産を行った加藤杢左衛門(もくざいえもん)がいます。初代加藤繁太郎は、初代周兵衛の四男で、後に二代加藤杢左衛門の養子となり杢左衛門三女と結婚しています。