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説明

 

 

時代 明治時代から昭和時代初期

 

法量:品高5.8㎝ 口径(幅)約6.1㎝

 

 

大島霞城

 

※まだHP作成途中でテスト用に掲載したものです。販売・購入はできません。

 

 

 

 

明治3年(1870年)から明治13年(1880年)までの10年間、川本桝吉工場に寄留していた陶画家。大出東皐の門に入り、絵を学んだ。「華城」「花城」とも号した。霞城(かじょう)は、川本桝吉だけではなく、加藤周兵衛、川本半助の工場でも絵付けをし、染付け磁器の手本書きとしても活躍しました。その技術は瀬戸焼の絵師の中でも傑出したものといわれています。明治時代後期は、「霞城園」と号して独立し、質の高い染付磁器を制作しています。