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説明

 

時代 明治時代

 

法量:品高2.6㎝ 口径(幅)15.7㎝

 

摘要:陶玉園 五助製

 

※まだHP作成途中でテスト用に掲載したものです。販売・購入はできません。

 

この皿には、日本の伝統的な吉祥文様である青海波が施されています。

 

青海波は広い海がもたらす恩恵を感じさせる柄で、無限に広がる波の文様には未来永劫に続く幸せと、人々の平安な暮らしへの願いが込められています。

 

どこまでも続くように整然と描かれた波文様には、『いつまでも穏やかな日々を過ごせるように』という想いが表現されています。

 

加藤五助

南新谷地区で、陶磁器の生産を行っていた瀬戸でも有数な窯屋。

 

初代五助は、1795年に陶業を始め、その後、1819年に磁器の生産に転向しました。彼らは代々、素地の改良や焼成技術の向上に努め、初代五助は青磁製品や「玉淵小皿」などの実用厚手小皿を考案しました。二代目五助は製品の均質化と量産化に貢献し、三代目五助はカオリン土の使用に成功しました。

 

四代五助は(1839~1905)は、三代五助の長男として生まれ、文久3年(1863)に家業を継承し、「陶玉園」と名付けました。彼は素地の精選や釉薬の研究に取り組み、実用厚手平奈良茶碗を広めるとともに、白磁や青磁の釉の上に白盛の浮き出し文様を描く技法を提案しました。また、彼は海外向けの高級品や美術品の生産にも取り組み、瀬戸で最も早い時期から輸出用食器の生産に着手しました。明治31年(1898年)には隠居し、「陶玉」と名乗りました。

 

五代目五助は、1915年に石炭窯を導入し、石膏型による大量生産を行いました。彼は加藤周兵衛以降の森村組(現在のノリタケ)の指定工場として、輸出用の磁器を製造しました。