加藤勘四郎は、瀬戸の一里塚町にある窯屋で、菱勘という号で知られています。
彼の窯では、染め付けを中心とした磁器が生産されていました。
明治6年(1873年)のウィーン万博博覧会以降、コバルトの染付け技術が伝わり、加藤勘四郎はその受け取りを最初に行いました。
明治時代には、彼の作品は国内外の万博博覧会に数多く出品され、その優れた品質が高く評価されました。
明治10年(1877年)の第1回内国勧業博覧会では龍紋賞配牌を、明治11年(1878年)のパリ万国博覧会では銅賞を受賞するなど、多くの賞を受けました。
加藤勘四郎の窯では、花瓶や鉢などの国内外向けの製品が生産されていましたが、特に板ものの製作においては得意としていました。
代表作は、東京国立博物館に収められている、明治14年(1881)染付養蚕図衝立 幅91.8㎝
明治初年には、陶画師の大出東皐が逗留し、染付の絵付けを行っており、その精密な染付画も窯の特徴となっています。
明治中頃には、長男の松次郎が家業を継承しました。
加藤勘四郎の作品は、その優れた技術と美しさによって多くの賞を受賞し、瀬戸焼きの名工としての地位を確立しました。
彼の窯は、明治時代の日本の陶芸界において重要な存在であり、その影響は現代にも続いています。
〈主な参考文献〉
2005年日本国際博覧会開催記念 瀬戸陶芸の精華展 (発行)NHK名古屋放送局
時代:明治時代
法量:品高9.9㎝ 口径(幅)10.5㎝
摘要:加藤勘四郎 勘四製 祖母洞 染付銘