伊藤四郎左衛門(不詳~1947)千峰園

 

 

伊藤四郎左衛門は、明治時代から昭和時代初期にかけて瀬戸で活躍した染付窯業者です。

 

彼は明治11年(1878年)に南新谷地区で製磁業を始め、千峰園という号を持ちました。

 

千峰園の作品は高い品質で評価が高く、特に祥瑞文の捻り形皿などは特に巧妙で他の追随を許さなかったほか、

 

青磁釉と白盛り文との組み合わせなど、釉薬の研究などに熱心であったそうです。

 

 

祥瑞文様とは?
江戸時代より、茶道具を中心に作られた染付の柄の呼び名。 七宝紋や業平紋等の吉祥紋を描き詰ているものを主にいいます。 中国明末の崇禎(すうてい)年間(1628~1644)、日本の茶人の注文により景徳鎮窯で作られたといわれる染め付け磁器。

 

 

そして彼の窯では、後に人間国宝になる加藤士師萌が画工見習いをした窯屋として知られています。

 

 

また、伊藤四郎左衛門は実業家としての顔も持ち合わせ、

 

昭和初期の磁祖加藤民吉銅像の建立といった明治から昭和にかけての瀬戸の主要な事業などに関与しています。

 

 

参考文献
瀬戸 染付の全貌 世界を魅了したその技と美 磁祖「加藤民吉」九州200年記念