青と白の魔法、ふたたび。
明治の瀬戸染付が現代に帰ってきた
真っ白な磁肌に、深く澄んだ藍色の模様がすっと映える――それが瀬戸染付。
ここ最近、この繊細な絵付けと実用性の高さで、再び人気が高まっているのをご存じですか?しかも、ミニマルな美や手仕事の温度感に惹かれる若い世代からも注目の的。
なぜ、いま再び脚光を浴びているのか。
理由はひとつ、明治時代の瀬戸染付が国内外で“超絶技巧”とまで呼ばれた存在だったからです。
幕末の瀬戸では、すでに直描きの染付技法が確立されていました。
鉄分をほとんど含まない純白の素地に、呉須という藍色の顔料で自然や四季の風景を描く。
その精度と表現力はまさに職人芸。花鳥や山水、昆虫までも濃淡で描き分け、一つとして同じ作品はない。まるで日本画をそのまま器に閉じ込めたような世界です。
明治政府は、この美を世界に見せようと万国博覧会への出品を推進しました。
万国博覧会はただの展示会ではなく、世界中の技術や美術、ライフスタイルを一堂に集める国際的ショーケース。
開催国にとっては文化や技術力を誇示する舞台であり、参加国にとっては海外進出への切符でもありました。
瀬戸は1873年ウィーン、1876年フィラデルフィア、1878年パリと連続出展。
特にパリ万博では、加藤勘四郎、加藤杢左衛門、川本桝吉、川本半助らが手掛けた大型の染付花瓶や灯籠、テーブルなどが出品され、その繊細な筆致とデザインで高評価を獲得。
11の窯元のうち5件が受賞する快挙を成し遂げます。
1878年のパリ万博は、当時のフランス第三共和政が世界に自国の文化的存在感を示すために開催したもので、会場はセーヌ川沿いに設営。
エジソンの蓄音機や巨大な水族館など、来場者を魅了するコンテンツが目白押しで、1600万人以上が訪れました。
日本館では美術工芸品が大反響を呼び、特に陶磁器分野でジャポニスムの流れをさらに加速させました。
この時代の瀬戸染付は、美しさだけでなく日常に使える耐久性も備えていました。
藍の文様と白磁のコントラスト、そして「しっとり」とした光沢は、見るだけで触れたくなるような存在感を放っていたのです。
しかし20世紀に入ると、大量生産とプリント柄の普及に押され、手描きの染付は一時下火に。
それが今、再び戻ってきています。
工業製品にはない“揺らぎ”や“手の痕跡”が、個性や物語を大切にする世代の心に刺さっているのです。
明治期に培われた超絶技巧、そのエッセンスは今も息づいています。
瀬戸染付は、単なる古い工芸品ではなく、時代を超えて使える“青と白のアート”として、再び脚光を浴びているのです。