伊藤善右衛門次男才次男。
明治9年(1876)、母の生家、加藤五平家の養嗣子となる。(養嗣子とは、家督相続人となるべき養子のことを意味します。)
明治19年(1886)実兄の伊藤六之助と協力して染付輸出食器を製造し、好評を博する。
明治23年(1890)加藤五平とその実兄の伊藤六之助、そして田代屋加藤梅太郎が協力して陶巧園合資会社を設立、輸出用改良のタイルを製造したり、「衛生弁用重」の実用新案を受けるなど、新地開拓、改良に力を注ぐ。
陶画に巧みで、また「石斉」と号して俳句もよくした。
明治42年(1909)死去。
〈主な参考文献〉
2005年日本国際博覧会開催記念 瀬戸陶芸の精華展 (発行)NHK名古屋放送局 |
加藤五平 煎茶器湯呑・湯さまし