河本五郎 灰釉鳥文汲出碗

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灰釉鳥文汲出碗

 

 

外側に触れると、ざらざらとした感触が気持ちよく広がり、土の荒々しい表情や素材感、そしてその温かみが漂っています。淹れたてのお茶と共に、この湯呑みとのひと時は、どれほど穏やかな気分に誘うことでしょうか。

 

飲む前から心が躍ります。

 

見込は、荒々しい黄色の伊羅保の風情を美しく映し出し、深みを感じさせます。ほのかな黒い上絵の中に白く浮かぶ原始的な鳥のデザインが、シンプルで洗練されていて素晴らしいです。この原始的な動物文様は五郎がつくる生活食器にも好んで使われています。

 

瀬戸の伝統を保ちつつ、現代的な造形と感性を取り入れ、戦後の瀬戸陶芸会を牽引した鬼才、河本五助の湯飲み。

 

これで贅沢なひと時を、愉しんでみたいですね。

 

 

 

 

 

 

河本五郎は、1919年3月15日に愛知県瀬戸市で、製陶業を営む柴田重五郎の次男として生まれました。彼は愛知県立窯業学校を昭和11年に卒業し、その後国立陶磁器試験所意匠部で伝習生としての経験を積みました。昭和25年には染付陶芸家である河本礫亭の家を継ぎ、河本姓を襲いました。

 

河本五郎は、従来の陶芸会の枠にとらわれず、現代の陶芸表現の可能性を模索した作家として知られています。戦後の陶芸界では実用陶器が中心でしたが、彼は自由な造形を追求し、いち早く芸術性の高い作品を発表しました。瀬戸の伝統を保ちつつも、現代的な造形と感性を取り入れ、戦後の瀬戸陶芸会を牽引し、数々の名作を生み出しました。

 

 

「反骨の陶芸」

 

 

 

 

河本五郎(1919~1986)
1919年/瀬戸市の製陶業、柴田重五郎の次男として生まれる。
1936年/愛知県窯業学校卒業。京都国立陶磁器試験所意匠部へ伝習生として入所。
1946年/瀬戸陶芸協会会員となる。
1950年/陶芸家河本礫亭家の養子となる。日本デザイナー・クラフトマン協会に参加。山田美穂子と結婚。
1953年/「第9回日展」出品、「草文花器」初入選。「朝日現代陶芸展」最高賞受賞。
1958年/「ブリュッセル万国博覧会」グランプリ受賞。
1959年/「カリフォルニア国際博覧会」最高デザイン賞受賞。ベルギー工芸展出品作を日本外務省買い上げ。「第2回新日展」中日賞受賞。
1960年/「第9回現代日本陶芸展」最高賞受賞。日本陶磁協会新人賞受賞。20回記念瀬戸陶芸展最高賞受賞。
1962年/「第1回日本現代工芸美術展」入選、日本現代工芸大賞受賞。現代工芸美術家協会会員。第5回新日展特選北斗賞受賞。
1963年/「第1回朝日陶芸展」文部大臣奨励賞受賞。
1964年/「第2回朝日陶芸展」審査員。「現代国際陶芸展」招待出品。「第7回新日展」委嘱出品。岡山天満屋「現代陶芸代表作家展」出品。
1965年/西ドイツ「国際手工芸展特別展」招待出品、金賞受賞。日本政府主催「ニューヨーク国際芸術際」参加、以後毎年出品。
1966年/「第9回日展」審査員。
1967年/モントリオール万国博覧会出品。
1968年/京都国立近代美術館主催「現代陶芸新世代展」招待出品、同館買い上げ
1973年/愛知県陶磁資料館資料委員就任。「中日国際陶芸展」発足、評議員・審査員となる。
1976年/光風会第1回辻記念賞受賞。イランへ古窯研究の旅をする。
1978年/日展評議員となる。現代工芸美術家協会退会。日本新工芸美術家連盟評議員となる。
1979年/中日国際陶芸展の招待作品選定のため、韓国を訪問。瀬戸陶芸協会代表委員となる。中国・シルクロードを旅行。
1980年/第2次タイ古陶研究旅行に参加。「日本の美 現代陶芸百選展」招待出品。
1981年/「第1回瀬戸陶芸協会展」出品。
1982年/愛知県知事表彰。香港博物館開催「東洋陶磁展」招待出品。
1983年/瀬戸市文化センターにて「河本五郎展」開催。中国を旅行。アメリカ・イギリス巡回「今日の日本陶芸展」招待出品。
1984年/東海テレビ文化賞受賞。
1985年/「瀬戸陶芸家協会50年のあゆみ展」出品。
1986年/勲四等瑞宝章受章。没。