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瀬戸染付

染付(そめつけ)**とは、白色の素地に呉須(ゴス)という酸化コバルトを主原料とした顔料を使って文様を描き、ガラス質の釉薬をかけて焼成し、文様を藍色に発色させたものです。藍の発色は、素地・釉薬・焼き方によって窯元ごとに異なります。

一般的に染付は磁器を指しますが、瀬戸染付焼では、前身である陶胎染付(陶器への染付)も含めて、一味違った味わいがあり人気です。主な絵付け技法には、細かい線で描く「線書(せんがき)」、濃淡をつける「濃み(ダミ)」、輪郭なしで直接描く「つけたて」があります。絵付け後、透明度と光沢性の高いガラス質の釉薬(石灰釉など)をかけて焼成します。

 

【瀬戸染付】― 時を越えて、いま、再び光を放つ ―

瀬戸で磁器が本格的に焼かれ始めたのは、江戸時代後期のこと。
青一色で描かれる「染付(そめつけ)」の美しさは、時を経てもなお、多くの人々を魅了し続けている。

しかしその黎明期、瀬戸の磁器は、17世紀初頭に始まった九州・肥前の磁器と比べると、素地や釉薬の面でまだまだ劣る部分があった。
すでに有田焼に代表される肥前磁器は、完成された技術と品質を誇っており、瀬戸との間には明確な差が存在していた。

その差を埋めるために動いたのが、加藤民吉である。
後に「瀬戸の磁祖」と称される彼は、磁器製造技術を学ぶために九州へと旅立ち、約3年の修行に臨んだ。
そして帰郷後、学んだ技術を瀬戸へと伝えたことで、染付磁器の品質は飛躍的に向上。
瀬戸は尾張藩のもとで磁器の一大産地として発展の道を歩み始めることとなった。

 

やがて時代は大きく動き出す。


明治に入ると、「文明開化」の風が日本中を吹き抜け、近代国家への大改革が進められた。
「殖産興業」の名のもと、産業の振興が国を挙げて推し進められ、磁器製造もその例外ではなかった。
尾張藩による保護や統制が解かれ、瀬戸の窯屋たちはそれぞれが独自に創意工夫を凝らす、自由競争の時代へと突入していく。

この変化の中で、瀬戸の職人たちはただ守りに入るのではなく、積極的に外へと打って出た。
欧米各地で開催される万国博覧会にも意欲的に出品し、瀬戸染付は繊細な絵付けと美しい造形で高い評価を受けた。

その存在感は、やがてジャポニスムやアール・ヌーヴォーといった欧米の芸術潮流にも影響を与え、瀬戸の名は世界へと広がっていった。

 

そして、いま。


時を経て、再び瀬戸染付が注目を集めている。
大量生産では決して生まれない、手仕事のぬくもりと静かな気品。
その深い藍の世界に、多くの人々がもう一度魅せられはじめている。

これは単なる懐古ではない。
美のリバイバルであり、
現代の暮らしに寄り添う“新たな価値”としての再評価なのだ。

いま、その青は「SETO-BLUE」という新たな名で語られ、
ふたたび世界の目を奪いはじめている。

瀬戸の磁祖・加藤民吉の没後200年という節目の年。
この時代に、再びこの青が光を放ち始めたことには、きっと意味がある。

SETO-BLUE──瀬戸染付は、時代を超えて生きている。
静かに、そして確かに——。

 

 


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